忘れられない子ども 「不登校だったA男との再会」 |
2009-04-13 Mon 22:31
携帯にA男から急に連絡がきた。
「就職しました!ルート営業ですけど、がんばります」 この言葉は、私にとって本当に元気が溢れ出るほど嬉しかった。 A男は不登校で中学2年生までは、学校に行けずにいた。 私は今からずいぶんと前の社会人になりたての頃、教育相談室で不登校児童生徒の指導員をしていた。 その頃、初めてA男と出会った。 とても明るく振る舞い人なつっこい感じがしていた。 「なんでこんな子が学校に行けなくなってしまうのかな?」 正直、不思議に思った。 しかし、しばらくたち私との関係ができはじめてくると、A男はそれまで隠されていた彼の持つ「内面の葛藤」を少しずつ私にぶつけ始めて来た。 ついさっきまではすごく楽しく二人で過ごしていたのに、少し気に入らないことがあると急にイライラして目が据わってしまう。 物に当たってみたり、一人で部屋に閉じこもってみたり、思春期特有の「アンビバレント」な態度が強烈にありありとみられた。 私自身も、ここまでとことん不登校生徒に関わることは初めてだったので、彼の感情に巻き込まれ、振り回されていた。 イライラに同じように、威圧的に対応してしまいうまくいかずに落ち込んでみたり、 ふとしばらくすると、とても人なつっこくさっきのとげとげしさを補償するかのようにすりよってくるA男に当惑していた。 しかし、そんな彼とのかかわりを常にサポートしてくれる相談室環境があり、 彼とともに私自身も沢山の経験から不登校の子ども達とかかわりかたを学んでいった。 それは、子どもとかかわる一番の基本「共感的理解」であった。 子どもの住んでいる悩み深い世界まで、穴奥底に支援者が降りていき、 子どもの持っている弱々しく痛めている本当の心に共感することであった。 私自身が苦労を重ね、カウンセラーからの専門的な事例研究もしてもらうことで 少しずつ彼の心の葛藤を開放することができはじめ、彼に自信を付けていくことが少しずつできはじめてきた。 すると変化は突然やってくるもので、A男は急に「学校に行く」と言い始め、中学校の給食に私も同行することとなった。 振り返ってみると、それまでの彼と私との時間が癒しとなり、少しずつ新しい挑戦へと彼は動き出していたのだろう。 ここまで1年間以上かかった。 じっくりゆっくりだったが、着実に力を付け、伸び始める彼の力を感じることもでき嬉しくあった。 その後、A男は中学校を無事卒業した。 しかし、高校は中退し私は心配をしていた。 また、自分で学費を支払う決意をし、高校に入り直し、20才を過ぎて、ついこの春卒業し、就職に至った。 彼との思い出で一番忘れられない出来事がある。 それはA男と再会したとき、私は絶対黙っておこうと思ったことだ。 驚いたことに彼の口からこの話しが出てきた。 後半は明日へ続きます。 スポンサーサイト
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この記事のコメント |
先生冥利に尽きますね。
ひょっとしたら、この子供たちとのふれあいが 今の教師を目指した原点だったのかもしれないですね。 「一人の人間がもう一人の生き方を決めるかもしれない・・・」 成長を楽しみに見守る嬉しさと、ミスリードしてしまわないかの怖さの二つがせめぎ合う、とっても大切な職業の先生の{初心}を感じさせるブログでした。 ありがとうございます。確かに、この不登校の子ども達の気持ちにふれたいからこそ、学校現場に出たのが出発点でした。だから、私の旅は続きます。現場を後にして、次に行くところは・・・。
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2009-04-19 Sun 19:19 ちやうやんしい
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